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2016.04.10

ABC検診

ABC検診について

本院ではキャンペーンでABC検診を500円で実施しております。
ABC検診は本院のホームページを見てもらうと分かると思いますが、胃がんのリスクを判定する検査です。

通常4~5千円の費用がかかり、人間ドックのオプションなどになっています。

よく患者様から
「バリウム検査とABC検診はどちらがいいか?」

と、聞かれるのですが、まずは以下のリンク先をご覧ください。

認定NPO法人 日本胃がん予知・診断・治療研究機構

 

ABC早検診は、初期胃がんの発見率も良く、ピロリ菌の除菌も念頭に置いてあるので、受診者のその後の胃がん発生の予防にもなります。
最近までは、ピロリ菌の抗体価の設定が悪く不正確なこともありましたが、現在は抗体価3未満が陰性という基準を用いれば、かなり良い精度で、ピロリ菌感染者を指摘できます。(ただ、他の医療機関では10以下が陰性という、基準で説明しているところもまだ多いようですので、この検診を受けましたら、ピロリ菌の抗体価が3未満であるかどうか自分で確認してください。(日本ヘリコバクター学会からの注意喚起

しかし、ABC検診を受けていただいてリスクがないと判定され、その旨を職場等の検診で伝えると、バリウム検査をするように言われてしまうようです。

リスクのない人にバリウム検査をするのは、無駄だけではなく、検診者を被爆させるデメリットもあります。

最近では台から落下しての死亡事故もありました。

どうか、会社の検診担当の方は、決まりを順守するのではなく、最近のイビデンスをみて参考にしてもらいたいと思います。

そして、私の一番最初のブログもぜひ読んでいただきたいと思います。

検診担当の方で質問がある方は、お気軽にお問い合わせください。

2016.03.09

東日本大震災―内山哲之先生

2011年3月11日午後2時半ごろ、私は田村クリニックの分院の南大沢メデカルプラザというところで外来にでていました。

田村クリニックに務め始めて、4か月目だったので、受け持ち患者は少なく、診察室でうとうとしていましたら、石巻市立病院のドクターから電話がかかってきました。

私の実家の叔父が胃がんになり、石巻市立病院でその年の1月に手術を受けておりました。

叔父の胃がんは胃の上部で食道にも少しかかっていたので、転移していることを心配していたのですが、石巻市立病院の先生から化学療法を勧められ、叔父が甥の私と相談してくださいと言ったので電話したということでした。

初めは若い担当のドクターでしたが、すぐに責任者の内山先生に変わりました。

電話の向こうで、叔父の状態、腫瘍マーカー等の話をしていたと思いますが、その時、向こう側のほうで、地震が起きているという話があり、それでもいろいろと話し続けていたのですが…

約1分ぐらいでしょうか、こちらのほうも揺れだしました。

それでも電話で話をしていたのですが、向こう側で、いろいろ倒れてきて、もう電話できないと言うので会話が終わりました。

その後激しく揺れだし、私は近くにあったエコーの機械が動かないように持っているのがやっとでした。

クリニック内の書棚が倒れて、カルテなど書類が散乱しました。

揺れが終わってから、外を見ると待っている患者は整然として座っていました。

隣の薬局の天井が落ちて、薬を出せないと言ってきました。

コンピューターが止まって、カルテもわからなくなったので、診療はそこで打ち切られました。

震災直後は石巻の実家に電話は通じました。

親父の携帯に電話すると、おふくろを石巻市内の仙石病院に送って、おふくろが透析している間にホームセンターに行ってたら地震になったとの事で、ホームセンター内は棚など全部倒れたと言っていました。

それから親父はいったん内陸にある家に戻ったそうです。

その後しばらくすると、固定電話には電話できなくなってしまいましたが、親父の携帯はつながりました。

親父はおふくろのところに戻ろうとしたのですが、途中で津波のために行けなくなったと言っていました。

今考えると、その時病院に迎えに行ったいたら、津波に呑まれたと思います。

おふくろは数日その透析病院の上の階に避難して、あとで救出してもらいました。

その日、東京では交通機関が止まりました。

次の日は電車など動いたのですが、原発が停止して、電力が不足するからとのことで、電車がかなり間引いた運行になり、駅には見たこともない長蛇の列ができました。

震災の2日後、クリニックに行くと田村クリニックの理事長である田村先生が来られ、震災の援助にスタッフを連れていきたいと言われました。

田村先生と自分と数人のスタッフなら、自分の実家が結構大きいので泊まれると思い、実家を使ってくれるようお話ししました。

実際は多摩中心の医師と看護婦、薬剤師、事務で東京JMATが構成され、総勢14人ぐらいになりました。

この人数で家に泊まれるかどうかわたりませんでしたが、とにかく行くことになりました。

ガソリンが手に入らないので、携帯ガソリンタンクを買い集めガソリンを買い集めました。

私の車を含め、薬局から薬を積んだ車など、4台の車で、3月15日に宮城県へ向かいました。

実家に着いた時は、電気も水も止まっていました。

14人の隊員が部屋と廊下に布団を敷いて眠り、水は近くの湧水を汲みに行きました。

私たちは東松島地区が担当になり、14人を2つの班に分け、それぞれ医師、薬剤師、事務のチームで被災者が避難されている学校や、施設を回りました。

学校の校庭には車や船が泥に埋まった状態でした。

道は泥と材木で埋まっていました。

避難場所の学校の1階は泥に埋まって、その2階3階に避難された人は、埃のために咳込む人が多く、咳止めが多く処方されました。

話を聞くと、それぞれに、いろいろな大変だった話を聞きました。

一人の高齢の女性は小学校にいて、津波が押し寄せ、高いところにある体育館に行くところ小さい小学生が流されそうになり、手を引っ張って助けたと言っていました。

体育館に行ったものの、体育館にも水が入ってきて、中二階の狭いところで、ギュウギュウ詰めで立ったまま、救助が来るまで2日間いたそうです。

体は濡れたままで、みんな体を押し寄せ暖をとったとのことです。

60代の男性は自宅の2階に1日避難していて、食料がなくなり、避難所まで歩いてきました。

裸足だったので、足にはガラス破片が刺さって化膿していました。

1型糖尿病でインスリンが必要なので、私たちは石巻赤十字病院に搬送しました。

石巻赤十字病院は当時、石巻で機能していた唯一の拠点病院でした。

日本各地からのたくさんのボランティアの医師たちがきて、廊下や外のテントで寝泊まりしていました。

建物には耐震構造があり、建物の被害はありませんでした。

私どももそこの早朝のミーティングに参加し、宮城県各地の現状を知ることができました。

ミーティングに参加した折に、偶然に私は石巻市立病院の内山先生とお会いしました。

大柄な小太りの男性で、自ら被災されましたが、当時は医師ボランティアに参加されていました。

私は、十年来の親友に会うような心境でした。

電話のあと、手術入りしてたのですが、津波が来て、術中に患者を上の階の移動させたことなどお話しされました。

あとでテレビ番組で見ましたが、内山先生の石巻市市立病院が孤立して、救助が来ないので、自ら瓦礫をかき分けて救助を求めに行ったようです。

津波が落ち着いてから、石巻市立病院は震災後機能しなくなったので、内山先生は、石巻赤十字病院で勤務されました。

私の叔父も胃がんが転移し、容態が悪くなり、そこに入院しました。

内山先生は毎日何回も診察に来られ、来られる度に、

「震災のために面倒を見れなかった。ごめんね…」

と謝っていたそうです。

叔父は震災の次の年の1月亡くなりました。

内山先生は、後を追うようにと言ったら変な言い方ですが、間もなく亡くなられたという知らせがありました。

母が言うには、自分の病院がなくなり、臨時診療所や日赤などで、仕事を続けかなりの心労が積もってしまったからだと言っていました。

内山先生のことについては、今でもネット上に出ていますのでリンクをご参照ください。

ご冥福お祈りします。

 

下に活動時の写真入れます。集合写真は多摩のJMATです。

http://blog.goo.ne.jp/tsukutaku8384/e/a5f2965c5c8a713ebf72d7fa30a72e1d

http://www.npo-cens.org/outline/seminar201409.html

http://tokachi.hokkaido-np.co.jp/kotoba_file/20120309.html

http://mainichi.jp/graph/2015/03/11/20150311ddm001040162000c/001.html

http://book.asahi.com/photo/index.html?photo=2013022600003_1

2016.01.31

マーシャル先生 その2

前回、常磐病院研修中に藤井先生と仙台のマーシャル先生の講演を聞くに行くところまでお話ししました。

当時(1990年後半)はピロリ菌感染が日本では認知されていませんでした。

除菌治療も一部の大学病院で研究的になされていただけでした。

常磐病院で内視鏡検査をしていましたが、胃の粘膜が赤くむくんでいたり、汚い粘液がついていたり、襞が太くなったり、反対にきれいな表面の人もいたわけで、当時は、顔と同じく、胃の中もいろいろな人相があるのだと思っておりました。

しかし、マーシャル先生の講演を聞いて、これは全てピロリ菌感染で起きているのだと分かり衝撃を受けました。
 

その後、自分は臨床から離れてアフリカで感染症の研究をして2000年帰国し、また消化器内科医として仕事を始めました。

ちょうどその年に、胃潰瘍と十二指腸潰瘍に限り、ピロリ菌の保険診療が可能になりました。

その後、ピロリ除菌治療をしまくりました。

インターフェロン導入で入院してくる患者さんや、大腸ポリペクで入院した患者さん等、担当した患者さんにはほとんど除菌治療していただいたと思います。

2007年秋、私は宮城県の医療整備課の仕事で塩釜市立病院に務めていました。

その頃、大塚製薬の招待でマーシャル先生が東京でピロリ菌の講演に来られました。

講演後のパーティーに参加した折、初対面のマーシャル先生にオーストラリアに行ってもいいかと聞いたら、すぐにいいと言われました。

忘れないように、マーシャル先生が大塚製薬のMRさんに写真を撮らせ、写真と一緒にemailを送ってくれというので送りました。

その後は大変でした。

毎晩のようにマーシャル先生からスカイプが来ました。

自分はJICAで仕事したことがあり、英語もある程度はできたものの、パソコンの向こうで何をお話されているかわかりませんでした。

何かをするように言っていたのでしょうが、わからず、頷いていました。

どうやら、向こうの大学の入職やイミグレーションの手続きができたとの事だったのだと思います。

翌年4月から家族を連れてオーストラリアのパースに行きました。

2008年4月パースに着いた時は、マーシャル先生は海外に出張中でした。

秘書さんが家の手配や子供の学校の手配をしていてくれました。

最初にした仕事は、ネズミの胃の閉鎖システムを作って、そこでピロリ菌を植え付けるという仕事で、当時はスウェーデンから来ていたビヨンさんがしていた仕事でしたが、私が引き継ぐ様にとのことでした。

拡大鏡を見ながら、ネズミの手術をずっと見学していたのですが、私の動物の倫理委員会の承認が得られるのに時間がかかり、そのうちに、どうも、この実験は無理らしいということがわかったので中止になりました。

 

5月にマーシャル先生が海外から帰られると、すぐに銀行や買い出しに連れて行ってくれました。

たいへん細かいところまで面倒を見てもらいました。

当時していた実験は、ピロリ菌感染している人を除菌し、その人から採って増やしたピロリ菌を飲んでもらい再感染させ、また除菌をし、再感染させ除菌し、患者さんの体の反応や胃液の分泌などを検査していくというものでした。

その実験に関しては、まだ、論文になっておらず、これからランセット等に載ると思います。

また、世界中からピロリ菌の質問が来るので、それに私が答えておりました。

これまでに受けた治療を聞いて、薬のアレルギーから、ピロリ菌検査のピロリに薬剤感受性や、その国の薬の流通を考え除菌薬を提案するというものです。

 

無料でしておりましたが、マーシャル先生は患者さんやその担当の先生の問い合わせをコンピューターで受け、それに自動的に返答するというプログラムを作ろうと発案されていて、現在も時々先生かメールが来ては、オーストラリアのプログラマーとネット会議をすることがあります。

世界中には、何度も除菌薬飲んでも除菌できない人がたくさんいて、そのような人が駆け込み寺の様な感じでマーシャル先生のところにメールを送っていました。

現在だとスマホ用のアプリになると思いますが、今も開発中です。

マーシャル先生は日本が好きで、特にロボットや日本の機械技術に興味を持たれ、日本に来たときは秋葉原のパーツなどを売っている雑居ビルを歩いてみるのが好きな方です。

2014年秋に、先生が東京大学の招待で日本に来られた折、東日本大震災のところを見たいと言われたので、私の両親の実家がある石巻にお連れしました。

マーシャル先生に松島、石巻、南三陸町を見てもらい、私の実家にお泊めしました。

上の写真はマーシャル先生を松島にお連れした時の写真です。

最後は、世界遺産である、平泉を案内しました。
日本で、マーシャル先生が泊まったのはうちの両親のところだけだと思い、私も誇りに思っております。

私の両親の家は、東日本大震災の時には、東京の多摩市近辺の東京JMAT(東京のドクター、看護婦、薬剤師、クリニックのスタッフで震災援助のために結成されたチーム)の拠点になりました。

震災が起きてすぐに、東京から約20人からなるチームが私の実家を拠点に東松島の支援活動をしました。
次回は、東日本大震災にについて書きます。

2015.12.25

マーシャル先生 その1

昨今、日本人のノーベル生理学賞が続いていますが、私たち日本人がこれまで一番恩恵を受けている発見で、ノーベル賞をもらったのはマーシャル先生とウォレン先生の、ピロリ菌の発見だろうと思います。

自分自身も2000年ごろ除菌治療をしました。

それまでは、頻回に胃がきりきりと痛くなることが多かったのですが、除菌してからなくなりました。

除菌治療しなかったら、もしかすると、自分も胃潰瘍や胃がんになってたかもしれません。

除菌治療は胃がんの予防で、除菌治療する事により胃がんになるリスクが1/3に減少するといわれます。

除菌治療して胃がんにならなくて済んだ人は、本人は実感することはできませんが、統計的には1000万人の日本人の除菌治療が10年間早まり、除菌した人の年間胃がん発症率を年に0.5%少なくしたとして、約50万日本人の胃がん発症を未然に防いだことになります。

これはすごいことです。

日本人への貢献度からして、国民栄誉賞ものだと思います。

ピロリ菌を発見して、少し前には明治乳業のLG21の宣伝に出ていたオーストラリアのマーシャル先生をご存知の方も多いと思います。

1981年に胃炎の研究をしていたウォーレン教授とピロリ菌研究をし、培養をし、胃炎の原因であることを明らかにし、2005年にウォーレン教授とともにノーベル賞受賞されました。

マーシャル先生たちがピロリ菌を発見する前、胃炎・胃がん・胃潰瘍の原因がわかりませんでした。

日本は世界でも胃がんが多い国なのですが、日本の学者はピロリ菌と胃の病気を関連させることができませんでした。

マーシャル先生がピロリ菌を発見した時代、日本では内視鏡検査やバリウム検査が同分野では世界でもトップレベルで、胃がんの研究も世界でも進歩していたようですが、当時日本で、ばい菌が胃がんの原因だなんて言っても、そんな馬鹿なと一笑に付されたことだと思います。

小生も研修医時代は東京で開かれる早期胃がん研究会を聴講しておりましたが、1900年代には、早期の胃がんを扱っているにも関わらず全くピロリという単語が使われていませんでした。

内視鏡生検標本にはピロリ菌がウジャウジャいたと思いますが、議題に上ることはありませんでした。

早期胃がん研究会なんてなく、胃がんが少ないオーストラリアの西海岸の平凡な研究病院で、世紀の大発見がなされましたということは、固定概念にとらわれないで新鮮な目で物事を観察し実証するということが、いかに大切かということがわかります。

 

権威主義の日本の学会に、オーストラリアから、この分野で新風を吹き込んがことはむしろ愉快に思われます。

その後、日本で2001年になり日本の当時呉共済病院の上村先生によりピロリ感染と胃がんに関する研究が発表され、それがマーシャル先生とウォーレン先生のノーベル賞をあと押ししました。

ピロリ菌が発見されたおかげで、日本では2000年から胃潰瘍・十二指腸潰瘍にかぎり、ピロリ菌の検査治療が保険でできるようになり、2013年から、北大の浅香先生のご努力で内視鏡検査後のすべてのピロリ感染者にピロリ検査治療ができるようになりました。

 

私とマーシャル先生の出会いは1996年だと思いますが、研修していたいわき市立常磐病院の当時副院長だった藤井先生に、仙台で行われたマーシャル先生の講演会に行ったことから始まります。

その後のことについて次回のブログで書きます。

写真は筆者がオーストラリアでマーシャル先生と動物実験(フェレットの胃内視鏡)している写真

2015.11.03

ピロリと胃がん

今日のインターネットのニュースで胃のバリウム検査について載っていました。

http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_360492/

現在までわたくしは内視鏡検診、ABC検診、バリウム検査の読影をしているのですが、書かれていることはほとんど正しいと思います。

しかし、それぞれに利点と欠点があり、それらをうまく運用することが大切だと思います。

 

まずバリウム検査について述べます。

バリウム検査による胃がん検診は確かに早期の胃がんは見つけることは難しいと思います。

しかし、この検査でピロリ菌に感染している胃炎なのか、除菌していた後の胃炎か、または、これまで全くピロリ菌に感染したことがない胃なのか大体はわかります。

 

バリウム検査で、ピロリ感染を指摘できる胃は、胃がんのリスクがあるわけで、除菌治療も必要ですから、私は要精査に判定し内視鏡検査をしてもらいます。

多分、読影医の中にはバリウム検査の感染の所見がわからない人も多いようです。

外来にバリウム検査で、ポリープを指摘され来院される方がいまだに多いです。

このほとんどの人は胃底腺ポリープで、これはピロリ菌のいない健康な胃にできるポリープです。

このポリープ所見でひっかけている読影医師はせっせと胃がんに縁のない人を内視鏡検査に回しているのです。

こういう読影医師はピロリ菌感染胃炎を多分指摘していないと思います。

バリウム検査の読影には一定の指針があるわけではなく、おのおの自己流に読影しています。

一昔前は、ほとんどの人がピロリ感染をしていましたので、ポリープのようなものが胃がんである可能性があり、その時代はそれで通用していたと思いますが、今は感染している人のほうが圧倒的に少ないので、ポリープで内視鏡に回すのは完全に空振り三振です。退場を願いたい。

さらに悪いことは、内視鏡検査になり、このポリープの生検され、「良性のポリープですが、毎年検査してください。」とかいわれ、毎年胃カメラ検査する羽目になる。患者にとっても、国にとっても時間と医療費の無駄遣いである。現在、内視鏡の解像度が上がり、特に、ピロリ感染のない健康な胃の女性1/3にこのポリープが見られます。定期的な検査など必要ありません。医療制度と医療機関の犠牲にならないよう気をつけましょう

この記事で言われているように、バリウム検査による被爆は、胸部レントゲンに比べ何十倍になります。

ピロリ菌のいない人に漫然と毎年バリウム検査をして被爆させるのは、放射線をただ浴びせているだけです。つまり、放射線浴びせ実験をしているだけです。

1度バリウム検査をすればピロリ感染があるかどうかなど、胃がんのリスクがわかりますから、胃がんのリスクのない人は、つまり「胃底腺ポリープのような所見がある人はもうこの検査をしないように」と知らせるべきです。

過去の方法でただ漫然として行われているバリウム検診はNGです。

人間ドックのバリウム検査も同類です。

 

一方、記事に言われているように、内視鏡検査が万能なわけではないと思います。

これも、だれに検査をしてもらうかが非常に大切です。

 

先程の胃のポリープがあるといわれて、毎年、口からのつらい検査を受けている方、毎年内視鏡検査をしているのにピロリ菌感染がそのままの方…

 

かかっている検査機関や医師を変えてください。

 

胃がんや食道がんのリスクが少ない人は毎年、検査をする必要はありません。

最初に内視鏡検査をした時、患者のがんリスクを診断してくれるドクターを自分で見つけることが大切であります。

 

また、内視鏡医がみな早期の胃がんを見つけられるスキルがあるわけではありません。

進んでいる癌でも胃潰瘍と誤診する医師もいると思いますので、自分の胃をゆだねるドクターをしっかり選ぶ事が肝心です。

 

最後にABC検診ですが、これはペプシノーゲン値とピロリ菌の抗体検査をして、胃がんのリスクを判定する検診です。

確かにペプシノーゲンの値と内視鏡検査所見での胃の粘膜のいたみ方がかなり相関しているようです。

ただ、感染している人は胃カメラ検査を受けるわけで、内視鏡でリスク判定ができるので、感染があるかどうかを調べる抗体検査だけで十分であると思います。

 

しかし、現在運用されているこの検査の抗体検査のカットオフ値が非常に不適切で、スクリーニング検査なのに、約1割の人が偽陰性になる値が使用されています。

カットオフ値を下げればいいだけのことですが、採用された時点での健保組合、自治体での決まりを変えることが難しいようで、不適切な状態で現在運用されています。

TEL:03-5876-9416胃カメラ専用24時間WEB予約
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